清水港̃
清水魚市場・河岸の市
清水港の玄関である清水魚市場です。JR清水駅から港湾道路を挟んでいますが、目の前です。 徒歩3分で到着します。清水港はマグロの水揚げ量日本一の港です。
この魚市場の隣に、「河岸の市」という魚介などの小売店・飲食店が集まっているスペースがありますが、ここは普段から混雑しています。水曜日が休みです。新鮮な魚介類を大変リーズナブルな値段で購入・飲食できます。県外からの来訪者も大変多いです。
私は、県外から友人が来るとここの中にある魚の定食屋さんに連れて行くのですが、そこはいつも行列ができています。
みんな、びっくりして帰ります。皆さん、ぜひお越しください。なお、河岸の市には併設駐車場がありますが、大変込み合っている場合があります。
もし、お時間がない場合は、通り向かいの清水駅東口の立体駐車場・平面駐車場に駐車するとスムーズに時間短縮できます。ただし、この場合は、駐車料金が別途掛かりますが、待つよりは良いでしょう。
清水港の歴史を紐解いて見ましょう。
西 暦 |
出 来 事 |
600’S |
斉明天皇の命により、朝鮮の百済を支援するため軍艦を建造し、救援軍として出港した。 |
1585 |
徳川家康が、駿河(現静岡県)の領主になり、清水港に水軍を置いた。 |
1603 |
徳川家康が江戸幕府を開き、征夷大将軍となる。 |
1605 |
徳川家康が清水を軍事上海上交通の要衝と考え、港町をつくった。 |
1615 |
幕府から42軒に回船問屋(現在の船舶代理店)としての営業権が与えられた。 |
1717 |
幕府は、清水港に約5,500㎡の広さを持つ直轄の米蔵を設置した。 |
1813 |
回船問屋39軒、回船宿30軒のほか、魚市場などもあり、港稼業のもので多いに賑わった。 |
1853 |
ペリー来航により横浜港開港。清水港でも開港準備始まる。 |
1861 |
英国の測量船が清水港を測量する。 |
1863 |
清水港から横浜港へ『静岡茶』を初めて出荷する。 |
1867 |
大政奉還 |
1876 |
清水-東京間の定期航路が開かれる。 |
1879 |
17,820㎡の波止場が完成する。 |
1879 |
米国前大統領グラント将軍来港。 |
1897 |
清水横浜税関支署が設置される。 |
1899 |
開港場に指定される。 |
1904 |
マンダリンオレンジ200箱を初めてアメリカへ輸出する。 |
1906 |
緑茶515ポンドを神奈川丸 (日本郵船)で米国シアトルに初めて輸出する。 |
1908 |
マンダリンオレンジをカナダへ輸出する。 |
1910 |
清水港の緑茶の輸出量が横浜港を超す。 |
1911 |
清水港の貿易額が初めて1千万円を超す。(全国で輸出5位、輸入9位) |
1912 |
三保半島真崎に灯台が完成する。(日本で最古の鉄筋コンクリート製灯台) |
1914 |
第一次世界大戦始まる。 |
1914 |
約169,000㎡の埋立地造成が完成する。 |
1914 |
清水港で塩を始めて輸入する。 |
1918 |
清水港のお茶輸出全国の80%を占める。 |
1918 |
清水港から大豆油を初めて輸出する。 |
1919 |
第一次世界大戦終結。(ベルサイユ条約締結) |
1921 |
清水-朝鮮間の定期航路が開設。 |
1922 |
ソ連沿海州産木材の輸入開始。 |
1923 |
関東大震災。京浜からの避難民が清水港に続々と上陸。 |
1924 |
米国産木材の輸入開始。 |
1927 |
清水港折戸湾に約41万㎡の県営水面貯木場が完成する。 |
1929 |
延長800mの日の出埠頭が完成する。同時に2万トン級1隻、3千トン級2隻の接岸が可能。 |
1929 |
県立水産試験場『マグロの油漬缶詰(試作品)』を初めて米国へ輸出する。 |
1929 |
Shimizu Port and Harbor Bureauが設置される。 |
1929 |
世界大恐慌 |
1930 |
東南アジア産木材を初輸入する。 |
1930 |
伊豆沖地震により清水港の岸壁が大被害を受ける。 |
1934 |
東南アジア方面を結ぶ定期船の清水港寄港が(月2回)が始まる。 |
1934 |
横浜-北朝鮮直行便の清水港定期寄港開始。 |
1935 |
大谷地震により岸壁が一部崩壊する。 |
1938 |
清水-天津間の定期航路第1船が入港する。 |
1939 |
第二次世界大戦始まる。 |
1939 |
航空機用アルミニウム生産のため、国策により日本軽金属㈱進出。 |
1939 |
石油精製メーカーの東亜燃料進出。 |
1939 |
耐火煉瓦の鶴見窯業進出。 |
1939 |
石炭・木材荷役専用の新式テルファー(telpher)3機を設置。 |
1941 |
清水-青島間定期航路第1船出港。 |
1941 |
太平洋戦争始まる。 |
1942 |
日本鋼管㈱、日立製作所等軍事関係の企業が進出する。 |
1945 |
B-29による空襲と艦砲射撃、機銃掃射により港湾施設に甚大な被害を受ける。 |
1945 |
第二次大戦終結。 |
1946 |
戦後初めての外国貿易船(シャーマン・オー・フォートン号)が援助物資を積み入港する。 |
1947 |
連合軍により貿易港12港のうちの一つに指定される。 |
1947 |
船倉により被災した港湾施設の復興始まる。 |
1949 |
開港50周年を迎える。 |
1952 |
特定重要港湾に指定される。(外国貿易の増進上特に重要な役割を果たす港) |
1959 |
石炭埠頭が完成する。 |
1959 |
清水市が米国カリフォルニア州Stockton市と国際姉妹都市縁組を結ぶ。 |
1960 |
チリ沖地震により大きな被害が出る。 |
1962 |
第1次港湾整備5ケ年計画を策定。総投資額2,500億円。 |
1963 |
清水-沖縄間の定期客船航路開設。 |
1964 |
年間貿易額が1千億円を突破する。 |
1966 |
興津第1埠頭の供用が開始される。 |
1968 |
興津第2埠頭の供用が開始される。 |
1969 |
東名高速道路が全線開通する。 |
1969 |
10万トン級タンカー初入港。 |
1970 |
富士見埠頭のニューマチックアンローダーが完成する。 |
1970 |
北米東航路のコンテナ船PACIFIC BANKER(14,162t)がコンテナ船第1船として入港する。 |
1970 |
興津第2埠頭にガントリークレーンが設置される。 |
1970 |
本格的なコンテナ荷役の第1船として、ハワイアンモナーク号が興津第2埠頭に接岸する。 |
1971 |
県営浜松内陸コンテナ基地を東名浜松IC付近に設置する。 |
1972 |
ソ連のナホトカとを結ぶ定期航路を開設する。 |
1972 |
北米西岸定期航路第1船入港。 |
1973 |
が完成。ガントリークレーン2号機が供用開始される。 |
1974 |
インドネシア航路のコンテナ第1船入港。 |
1976 |
アフリカ航路の第1船アルペン号が初入港する。 |
1977 |
北米西南岸航路、北米西北岸航路の定期寄港が決定する。 |
1981 |
袖師第1埠頭コンテナヤードの一部及びコンテナクレーン利用開始。 |
1982 |
袖師第1埠頭にコンテナターミナルが完成した。 |
1982 |
バンコク定期航路のコンテナ船寄港を開始した。 |
1982 |
北米東岸(ニューヨーク)定期航路寄港開始。 |
1982 |
南アフリカ航路の定期寄港開始。 |
1983 |
欧州定期航路の大型フルコンテナ船が初入港した。 |
1983 |
台湾・香港航路の定期寄港開始。 |
1983 |
米国サバンナ港と友好提携調印。 |
1984 |
中国青島港と国際友好港提携。 |
1986 |
米国サバンナ港姉妹港提携調印。 |
1988 |
富士見埠頭にチップアンローダー(400t/h)が完成。 |
1990 |
QUEEN ELIZABETHⅡが初入港する。 |
1991 |
富士見埠頭に連続式アンローダー(600t/h)が完成する。 |
1992 |
みなと色彩計画の策定。 |
1994 |
袖師第1埠頭にスーパーガントリークレーン(オーバーパナマックス対応)を設置する。 |
1994 |
富士見埠頭にチップアンローダー2号機(400t/h)が完成。 |
1995 |
袖師第1埠頭にスーパーガントリークレーン(オーバーパナマックス対応)2号機を設置する。 |
1998 |
興津国際交流センター完成。 |
1999 |
清水港開港100周年。式典を盛大に催す。(8月4日) |
1999 |
清水マリンパーク内テルファーゾーン、スケートパーク完成 |
1999 |
清水マリンターミナル完成 |
2000 |
第15海の祭典メイン会場となる。 |
2000 |
港湾EDI稼動 |
2002 |
特定重要港湾に指定されて50周年となる。(2月1日) |
2003 |
新興津埠頭(水深15m、8,000TEU級のコンテナ船に対応)供用開始。 |
2004 |
コンテナ貨物大型Ⅹ線検査場利用開始 |
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