静岡市清水駅前お役立ちエリアガイド 清水区内スポット

清水区内スポット̃

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三保の松原[羽衣の松]

三保の松原

羽衣伝説で有名な三保の松原は、平安の昔から景勝の地とされ、白砂青松にそそりたつ富士を眺めに多くの人が訪れます。

浜には、天女が舞いおりたとされる羽衣の松と呼ばれる樹齢約650年の古松があり、近くの御穂神社には、羽衣の切れ端が保存されています。

三保の松原は、JR清水駅からバスかタクシーになります。 バスの場合は、清水西口バスターミナルからバスが発着していますので、ご利用ください。

行き方は、JR清水駅の西口バスターミナルから、バス三保ランド行きで24分。三保松原入口で下車すると、徒歩で約10分です。

自動車でお越しの際は、三保街道沿いから、三保松原に入る右折の交差点に標識が無いため、 知らない人は、通り過ぎてしまいます。

ここから見える富士山はとてもきれいですよ。とくに空気の澄んだ冬の富士山は最高です。

羽衣の松と富士山の絶景をご覧ください。

三保の松原[羽衣の松]

御穂神社

御穂神社

三保松原の手前には、三保一体を守る御穂神社があります。ここには、天女の羽衣の切れ端が保存されているそうです。

「日本書紀」にも残る古社です。
天女が舞い降りて羽衣をかけたと伝えられる樹齢約650年の羽衣の松から、神社まで続く海に向かってのびる一直線長い松並木は、神木として「神の道」と呼ばれている。

境内には、10もの社があり、中でも子安神社は、大国主命の両親である須佐之男命と稲田姫命が祭神で、昔より安産子育ての神としてしられております。

その他にも左甚五郎の作といわれる神馬が奉られております。この神馬は安永2年(1773)の駿府大火の時、静岡浅間神社の2頭の神馬が御穂神社に逃げ込み、その後1頭は御穂神社に残り、もう1頭は浅間神社に戻ったと伝えられています。

例祭(11月1日)には湯立神事が行われています。

御穂神社

日本平ホテルの庭から見る富士山

日本平ホテルの庭から見る富士山

日本平の庭から見える富士山は最高に美しいです。
この写真にもありますが、この池は、某テレビ局の「華麗なる一族」で、将軍という鯉の住む池でございます。この場所が、万俵家のお庭という設定になっています。元々、子供用のプールでしたが、当番組の撮影用に、池となりました。

現在、日本平ホテル内の一角に華麗なる一族に関するコーナーを設置しています。ぜひ、見に行って下さい。遠い方にはこちらの動画をどうぞ。

更に、日本平ホテルの素晴らしい庭園の風景と、ドラマ内で将軍という鯉が住んでいた池の様子もご覧ください。

この敷地は、日本平ホテル所有の庭園で、誰でも入れます。清水区内の小学校の遠足といえば日本平登山が定番で、私も何度もこのお庭に遠足で足を運んでいます。

テレビ放映の影響もあり、多くの方が、この地を訪れています。

白い桜がきれいに咲いていましたので、こちらもどうぞご覧ください。

日本平ホテルの庭から見る富士山

日本平スタジアム

日本平スタジアムは、我が清水の誇るプロサッカーチーム「清水エスパルス」の本拠地です。

日本平スタジアム

日本平スタジアムと清水の街並みをご覧ください。

清水エスパルスの試合が開催されるときは、JR清水駅東口や静鉄新清水(清水区役所第3駐車場)からもシャトルバスが出ますので、遠方からお越しの方もアクセスは容易になっています。

※臨時シャトルバスは、JR清水駅の場合、西口の清水駅東口バスターミナルではありませんのでご注意ください。

シャトルバスの運賃は下記表のとおりです。価格は、バス運営会社である静岡鉄道により、当ページの表記と異なる場合があります。正しくは、静岡鉄道にお問い合わせください。

シャトルバス乗り場 大人料金 小人料金
JR清水駅東口 300円 150円
新清水(清水区役所第三駐車場) 260円 130円
波止場 フェルケール博物館(浪漫館前) 240円 120円
清水総合運動場 210円 110円

通常のバスで行く場合は、JR清水駅西口のバスターミナルからバス「日本平運動公園入口」下車、約10分でスタジアムに到着いたします。

日本平スタジアムの生い立ちを簡単にご紹介したいと思います。

日本平スタジアム(正式名称:日本平運動公園球技場)は、エスパルスのホームグラウンドで、1991年6月に「サッカーのまち清水」のシンボル的な競技施設として完成しました。

同年に静岡県で行われた平成3年度全国高校総合体育大会(インターハイ)においてサッカー競技のメイン会場として使用され、当時は日本一のサッカースタジアムとして絶賛されました。

サッカーブームがまだ本格化していなかった当時は、収容1万人の専用スタジアムは過去に日本で例がなく、2年後にスタートを切るプロリーグでの使用にも十分に耐えられるものと思われていました。しかし、Jリーグが開幕すると、予想をはるかに越える観戦希望者が殺到し、収容1万人ではとても需要を満たすことはできず、チケットはプラチナ化となりました。

また、ブームを前提に新改築された他のスタジアムが続々と完成する中、ブーム以前の規格の日本平はそれらと比較されては太刀打ちできるはずもなく、かくしてJリーグ発足間もなく、エスパルスは旧競技場に代わるホームスタジアム確保の必要に迫られました。

土地不足とバブル崩壊のダブルパンチによって、新スタジアム建設の作業は難航しました。日本平増改築も有力な案ではありましたが、助成金の問題がネックとなり、実現は不可能とみられていました。

国の助成金により建設された建造物を、わずか2年後に再び助成金によって増改築することは前例がなく、資金的に厳しい状況にありました。この難局を打破し不可能を可能にしたのが、サポーター、市民の力でした。各自治体、清水市役所(現:静岡市)などの行政関係の方々のご尽力はもちろんですが、何万というサポーターの熱い要望は日本平改築という夢を実現させました。

こうして、日本平スタジアムは1995年3月収容能力2万人の球技場に生まれ変わりました。

2007年3月3日には、3月3日(土)、大型映像装置『アストロビジョン』が稼動開始となりました。 今までは得点や選手を表示するのみでしたが、アストロビジョンの導入によって様々な演出が可能となったそうです。プレーのリプレイなども可能となりましたので、会場も一段と盛り上がる事が期待されています。

(日本平スタジアムの生い立ちについては、http://homepage2.nifty.com/stadium/を参考に、一部加筆させていただいております)

清水エスパルスを応援に行きましょう!清水エスパルスの公式ホームページはこちらです。 清水エスパルス公式ホームページ 日本平スタジアム

清水次郎長の眠る梅陰禅寺

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清水次郎長が眠る場所、それが清水の梅陰禅寺です。

 
名称 梅蔭禅寺(ばいいんぜんじ)
住所 静岡県静岡市清水区南岡町3-8
電話番号 054-352ー0995
入館料 大人300円(団体30名以上250円)
行きかた

①JR清水駅→②清水バスターミナルより静鉄バス山原梅蔭寺線で10分→③バス停梅蔭寺で下車 目の前

寺の中には、社会活動に貢献して没した清水次郎長こと山本長五郎をはじめ、女房のお蝶、大政、小政の墓があります。境内に立つ次郎長像の向いには次郎長遺物館もあります。愛用の着衣や煙官、小政愛用の木刀などを展示しています。所要時間は30分ほどです。

清水次郎長の眠る梅陰禅寺

これが次郎長の眠る墓

これが次郎長の墓です。

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清水次郎長とは、どんな人物だったのでしょうか?彼の人生を簡単にご紹介します。

(参照:http://www3.tokai.or.jp/komatsuen/baiinji.htm)
1820年 文政三年 0歳 1月1日 駿河国有度郡清水町美濃輪(清水第3中学区内)に生まれ、船頭三右衛門の次男として長五郎と名づけられる。その後、母方の叔父次郎八の養子に引きとられる。(次郎八の長という事で次郎長の通称で呼ばれることとなりました。)
1829年 文政十二年 8歳 粗暴な性格だった為、由比倉沢の伯父兵吉の元に預けられることに・・・、
1834年 天保五年 15歳 養家に戻るが百両を持ち逃げし、それを資金に米相場で巨利を博し、清水に戻り家人を驚かす。
1839年 天保十年 20歳 旅の僧に余生が25歳と予言され、任侠の道に
1842年 天保十三年 23歳 江尻にて芝居見物の後、酔って家路の途中で、闇討ちに会い瀕死の重傷を負う。これを機に生涯禁酒を誓う。博打のもつれから人を斬り、家業であった甲田屋を姉夫婦に譲り無宿者となり清水を出る。三河の地にて吉良の武一より剣術を学ぶ。
1845年 弘化二年 26歳 清水に戻った次郎長は甲州紬の文吉と駿州和田島の太左衛門との喧嘩を庵原川にて仲裁。その侠名が高める。
1847年 嘉永二年 28歳 江尻大熊の妹(初代お蝶)をめとり清水仲町妙慶寺近くに世帯を持つ。
1858年 安政五年 39歳 甲州の祐天と江尻大熊の間に争いが起こり、次郎長と大熊は祐天の親分である甲府の隠居を斬る。この為、役人に追われた次郎長は、お蝶・子分と共に瀬戸の岡一の家に身を寄せる。お蝶が病に倒れ、移り先の名古屋の長兵衛の家で帰らぬ人に。
1859年 安政六年 40歳 かつて次郎長が親身になって世話をした八尾ケ獄宗七(久六)の密告により捕吏が長兵衛宅に踏み込むが、次郎長は逃げきるも、長兵衛は捕われ牢死する。大政・石松等を連れ金毘羅参拝後に久六を斬り、長兵衛の怨を晴らす。
1860年 万延一年 41歳 久六制裁の願果たしに、森の石松を金毘羅神社へ代参に向ける。参拝後、見請山の鎌太郎のもとを訪れた石松は、鎌太郎からお蝶葬儀の際に届けられなかった香典二十五両を託された。帰路遠州笠井の寺島の常吉を訪れた際、懐(ふところ)の二十五両を狙われ、都田の吉兵衛・梅吉兄弟に惨殺される。
1861年 文久一年 42歳 梅陰禅寺住職の振舞ったふぐにあたり、角太郎・喜三郎が死亡。密かに石松の敵討ちを計画していた次郎長は、これを逆に利用して一家全員がふぐにあたると噂をたて、これを耳にした都田吉兵衛はチャンスとばかり徒9人を引き連れ清水に押し寄せる。いち早く吉兵衛らの清水入りを知った次郎長は大政・小政・相撲常・清吉らと共に酒亭駕篭屋にて彼らを奇襲。石松の仇を晴らす。
1862年 文久二年 43歳 勢力を伸ばしていた甲州黒駒の勝蔵は興津の盛之助に乱暴を働くなど悪事の限りを尽くし捕吏の追うところとなる。遠州に逃れた勝蔵を捕らえるべく、中泉番所は大和田の友蔵に依頼。加勢した次郎長は勝蔵を甲州に追いやる。
1864年 元治一年 45歳 清水襲撃の資金集めを強要された勝沼の三蔵は次郎長に救援を求める。
1866年 慶応二年 47歳 桑名の穴太徳に縄張りを奪われた伊勢の神戸の長吉は吉良の仁吉に救援を求めていたが、清水(次郎長)一家22人も仁吉に加勢する。
荒神山にて穴太徳・黒駒の徒130人余を相手に闘い穴太徳の弟分角井門之助を倒すも仁吉・法印大五郎は命を落とす。次郎長は憤慨しさらに480名の動員、長槍170本、鉄砲40丁、米90俵を船に積み、穴太徳に再び挑む。穴太徳らは恐れおののき、ひたすら陳謝のみで和議を受け入れた。
この一件以来「清水次郎長」の貫禄は増し、その名は全国に知られる事となる。
1868年 明治一年 49歳

駿府町奉行が廃止され、伏谷如水駿府町差配役となり駿府の治安にあたる。これに伴い次郎長を街道警固に命じ、それまでの罪科を免じ帯刀の許可を受ける。
幕府の軍艦咸臨丸が
、清水港内で官軍に攻撃され乗組員は全員死亡。幕軍の屍が、浜に打ち上げられ、漁民がこれを嫌がると、次郎長がこれらの屍を収容し、向島に葬る。

1869年 明治二年 50歳 次郎長が三河に行って留守の間、久能新番組の木暮半次郎に二代目お蝶が斬られ死す。啓次郎らがこれらを追い久能寺前で討つ。
この頃、山岡鉄舟は咸臨丸事件の次郎長の話に感銘し「壮士の墓」の墓碑銘を揮毫して与える。
三州西尾の藩士の娘をめとる(三代目お蝶)
1874年 明治七年 55歳 囚徒を使役し富士裾野の開墾を始める。
1875年 明治八年 56歳 向島に波止場の建設を始める。また回漕問屋に蒸気船の運行を説く。
1878年 明治十一年 59歳 山岡鉄舟、天田五郎を次郎長に引き合わせ、次郎長の家に逗留し「東海道遊侠伝」の執筆を始める。
1881年 明治十四年 62歳 天田五郎、次郎長の養子となる。
1884年 明治十七年 65歳 「東海道遊侠伝・一名次郎長物語」東京与論社より出版。
博徒のいっせい刈込みにより次郎長静岡井之宮監獄に収監されるも翌年、特赦放免となる。
1886年 明治十九年 68歳 向島波止場周辺に旅宿「末廣」を開業。記念に鉄舟揮毫の扇子を千本配る。(現在は、末廣が、静岡市により再建され、見学ができる)
1887年 明治二十年 69歳 興津清見寺に咸臨丸殉難者記念碑の除幕式を行なう。 碑文「食人之食者死人之事」は榎本武楊によるもの。
1893年 明治二十六年 74歳 次郎長没。梅蔭禅寺にて葬る。
これが次郎長の眠る墓

日本平

日本平は、静岡市街と清水市街のちょうど中間に位置していて、標高308mの有度山の山頂付近を総称して日本平と言います。

国の名勝にも選ばれているように、東海道随一の日本的景観を堪能できるとびっきりの観光スポットです。

眼前に広がるのは、雄大な裾野を広げる、秀峰・富士山の絶景パノラマです。

雄大でありながら春霞がかかるだけで見ることが叶わなくなってしまうというはかなさも、たまらない風情をかもし出しています。

私も、この富士山のパノラマをお伝えしようと、何度となく日本平を訪れましたが、富士山が雲で覆われていることもあり、中々その絶景をカメラとビデオに収めるのに、苦労しました。それだけに、その様子を収める事ができた際には、万感の思いがこみ上げてきたものです。

ぜひ、動画もお楽しみくださいね。

このように、日本平はまさに富士山の賜物なのだ。しかし、富士山が見えずとも眼下には活気あふれる日本有数の漁港である清水港と、日本三大松原である三保の松原の海岸線が緩やかなカーブを描く絶景が広がっています。

動画をご覧のように、天然の良港と多くの方から言われる清水港の地形があでやかで、その景観はぐっと心に突き刺さると思います。静岡市と清水市の合併に伴い、2004年から山頂に至る有料道路が無料化になり、日本平山頂へのアクセスが、更に便利になりました。

山頂から久能山東照宮まで日本平ロープウェイも結んでいますので、ロープウェイでの空中散歩も、また違った楽しみを味わえます。

日本平

日本平中腹から見える富士山

日本平中腹から見える富士山は、様々なところで写真に使われるほどの絶景ポイントです。

日本平中腹から見える富士山

日本平山頂から清水方面へ、旧道を降りていくと、降り始めて直ぐの所に両側茶畑の場所があります。そこがまさしく富士山の絶景ポイントです。車を置くスペースがありませんので、自動車の往来に気をつけながら、暫し富士山鑑賞タイムをお楽しみください。

また、日本平旧道を降りていくと、道路右側にひっそりと喫茶店があり、そこはハーブティーなどが飲めます。駐車場はなく、側道に数台置けるスペースがあり、そこに駐車しています。清水っ子の隠れた休息場所・デート場所です。

更に降りていくと、日本平スタジアムがあります。日本平スタジアムは、いわずと知れた清水エスパルスのホームグランドで、試合が行われる際は、かなりの熱気とチームカラーのオレンジ色で包まれます。

それでは、日本平中腹から見える清水の街並みをご覧ください。

こちらはまた別の位置から茶畑と富士山をお楽しみください。

日本平中腹から見える富士山

三保の松原から見る富士山

三保の松原から見える富士山

三保の松原から見える富士山は、冬が最高にきれいです。風も吹いていますが、それを含めた空と海と富士山と潮の香りが最高です。

この三保の松原では、天女の羽衣伝説の残る本物の松「羽衣の松」を能の鏡板に見立て、薪能が催されます。「三保羽衣薪能」では、羽衣伝説の発祥地だけに、毎年演者(流派)を変え、必ず「羽衣」が演じられます。能2曲、狂言1曲が公演内容です。

羽衣の松を鏡板に、白砂青松の三保の松原、目の前に広がる駿河湾、そして、遠くそびえる霊峰富士と伊豆の山々・・・。日本一の借景で演じられる能「羽衣」は、観賞者を絶賛させるだけでなく、演者の憧れの舞台ともなっています。

三保の松原と共に、富士山の絶景をご覧ください。

伊豆半島も見えますよ!こちらもあわせてどうぞ!

三保の松原から見る富士山

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